先日、信州へ3日間のツーリングに行ってきました。目的は「浅間記念館」「富岡製糸工場」「水戸浪士の墓」めぐりでしたが、行く前にこの目的を説明しても誰にも理解を得られなかった

それはともかくとして、足早にいきます。
1日目
雨

レインスーツを着込んで出発

浜松→東名高速・清水JCT→新東名・新清水IC→52号線 このICがかなり北にあるので以前に比べるとずいぶん楽になった。52号線自体も新しいトンネルなどがあり快適に北上していたら中部横断自動車道なるものに出くわした。そこから高速道路に乗ってほとんど車が走っていない状態で中央自動車道に合流して須玉ICで降りて少し走ったら、10:00くらいには清里についてしまった

そのまま北上、佐久市を抜けて浅間高原を走り、到着したのが浅間記念館

でもって、何の記念館かとういうと1955年から59年の間に当地で行われた浅間高原レースと浅間火山レースを顕彰するもので、建設には故中沖満氏が尽力されました。
右側が伝説の天才ライダー伊藤史郎、丸正自動車(ライラック)→ヤマハ、世界GP優勝、俳優・歌手、薬物依存疑惑、銃刀法違反、日本から逃亡、その人生はいかにも「あの時代」の人でした。

私(トミー・リー・フジタ)は逃亡することもなく、小諸市のホテルへ無事に到着
2日目
上信越自動車道を快調に走り横川SAで休憩、そしたら峠の釜飯「おぎのや」がありました。横川駅があのようになってしまったので、気になっておりましたが無事に成長・発展されているようでメデタイことです。
そして、これがかの有名な富岡製糸場
明治5年(1872年)に稼動した国策官営工場であり、当時、アジア最大の近代工場でした。しかし、渋沢栄一翁が指摘するとおり「官営の弊害」で事業としては成功せず、1893年に民間(三井家)に払い下げられております。それもなんだかなぁ
産業史とアーキテクチャー・フェチの私としてはたまりません。このトラス構造のおかげで140m工場でありながら柱が1本もないのだ。

事業としては、ともかくも、この工場が技術の向上と伝播に果たした役割は計り知れないものがあります。
その後、軽井沢→草津温泉→白根山を走り巡って無事に小諸市に帰着しました。
3日目
実は、以前の仕事で時々小諸市に来ておりました。当時は高速道路が完成してなくて岡谷ICから和田峠を抜けていたのですが、その山の中に「水戸浪士の墓」なる看板がポツンと建っていて「何なんだろうなぁ」といつも疑問に思いつつ通り過ぎていたものです。
その後、「そうか

」と思い当たるフシがあり調べたところ、やはり「水戸天狗党」であったわけです。ということで、雨

の中を和田峠の旧道に分け入ったところ土砂降りとなり、前はよく見えず、急坂道が川のようになり、我が運命を呪いましたが、天狗党の苦労を思えば何事のことがあろうか、と歯を食いしばり走り抜けました。まぁ それほど大げさなものではありませんが
これが接待、文字通り旅人と馬に食料と休憩を与えたところです。
でもって、とにもかくにも峠を抜けてバイパスに入りしばらく走ると、「水戸浪士の墓」がありました。道の下のほうにひっそりと佇んでおりますが、きれいに整備・清掃されております。

吉村昭著『天狗争乱』によると、この地での高島・松本藩兵との戦闘で天狗党員7名が死亡したとあるけれど、人馬を拒絶する酷寒の峠越えを敢行したことを考えると、この地で落命した党員はもっと多かったのではないかと推測します。
なにはともあれ、岡谷ICから中央自動車道に入り、中津川ICで一旦降りて十数年ぶりにある友人と再会して、猛暑に転じた中を東海環状自動車道→東名高速道路をひた走りに走って浜松に帰着しました。
しかし、これで今回のツアーは終了したわけではなく、実はボクシングの試合観戦が待っておりました
西遠ジム所属ボクサーの活躍もさることながら、ハマキョウレックス・大須賀会長の雄姿を拝んで、これにてこの度のツアーは打ちどぉ~めぇ~
いやぁ 実に楽しい3日間だった